そらの孔日記

荒井ミサがたまーに書く日記。

ヱウレーカ「廻盗インフェリチタ」振り返り

遅くなりましたが

演劇企画ヱウレーカ第2回公演「廻盗インフェリチタ」、無事終演致しました。ご来場頂いたお客様、応援してくださった皆様、関係者各位、そしてそして、座組の皆。本当に本当に、ありがとうございました。

第2回公演。振り返ってみると、第1回とは別ベクトルでとんでもなく濃かったなあと思います。ホントにとんでもねえ。打ち上げの記憶は半分あって半分ないです。

 

何がとんでもねえって

大前提として、私は第2回公演の公演時期について、「2018年度冬予定」と打ち出していました。とどのつまり2019年3月31日までの間。そして2/9-11に上演するというの意思を固めたのは11月の下旬。自分で言うのもなんですが、振り返ってみればとんでもないスピード感で全てを決めていったなあと。稽古開始までの1ヶ月弱で台本とフライヤー(と卒論)を書く生活は2度と送れない気がする。

やると決めてから本番が終わるまで、光の速さで過ぎていって、本番からもうそろそろ3週間かぁなんて思ってます。3月て。光の速さって怖いな。

でも稽古は光の速さだけどぎゅぎゅっと濃縮還元タイプだし稽古場は真摯な曲者揃いだしでヒイィ戦争だあァって感じでした(?)。役者さんにはじまりスタッフの皆様に至るまで芯をしっかり持ってる人を集めた結果、ご覧下さい見事な歯ごたえ!舞台上では埋もれるという言葉がどこかへ飛んでいき、裏方はもう縁の下どころじゃない力持ちとなってくださいました。

今回も私の考えるさいきょうのメンツを揃えましたし、心強かったなあと今でも思います。私自身、申し訳ないことに直前までやり忘れることとか抜けてることとか沢山ありました。迷惑もたくさんかけました。ごめんなさい。それでも最後まで一緒に舞台を創ってくれた皆には感謝しかありません。ありがとうございます。ポンコツながら、ご一緒できて嬉しかったです。


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そして今回も恒例(?)のあとがたりというか、補足的な話をぽつぽつと。番外編文庫にたくさん裏設定とか作品背景の説明を書いたので、ここにはそこに書いていない話とか+‪αの話を。

 

タイトルについて

今回のお話。「廻盗(かいとう)インフェリチタ」というタイトルですが、まーた読みづらいタイトルつけよってと自分でも思います。なんかもじるのが好きでついつい…。

大枠としては【インフェリチタ(イタリア語で不幸)を盗む怪盗→幸と不幸という二律背反≒輪廻→輪廻を盗む怪盗】という流れで。あとは【幸と不幸はぐるぐる巡る(ラスト周り)】というかんじで。割とすんなり決まりました。

輪廻を盗む怪盗、という部分に重きを置いた、繰り返す呪縛を断ち切り幸せになるためのストーリー(ざっくり)。

ちなみにインフェリチタ(不幸)の反対語はフェリチタ(幸福)なので、稽古場でいい事があると役者さんがフェリチタって言ってました。楽しそうである。

 

呪いの話

(※ここからめ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ちゃくちゃ個人的な話をします。作品に対して自分の持ってるイメージや考察を崩したくない方へはスキップを推奨します)

このお話は、私目線では、たくさんの呪いを煮詰めたお話でした。呪いと救済みたいな。そう書くと気の所為だとしてもかっこいいな。ひとつは【おかあさんの呪い】、もうひとつは…なんて言えばいいんだ…あの……【よのなかの呪い】とかでいいんですかね。呪いをたくさん詰めて作った蠱毒を派手な包み紙でラッピングしてみなさまにプレゼント!みたいな気分でした。あっすいません返品できないですごめんなさい石投げないで!!!!

 

①【おかあさんの呪い】

主人公バディ&母娘バディに込めた呪いですね。

遠回りな話になるんですけど、おかあさん(みたいな存在)の言葉って絶対なんですよ。子どもにとって、(子どもがいくつの時までかとかどんな子かとかそういう差はあれど、)おかあさんって呪いをかけられる人だと思っている節があるんです。おかあさんがダメって言ってた、おかあさんが悲しむ、とか。価値観の共有ですね。母親然り、学校における先生とか、何かしらの分野での師匠とか、そういう人。

そんな律儀に従わんでもと思うかもしれません。でも、きっとおかあさんに愛されたい・認められたい欲ってある程度存在するのかなって思うんです。ほら、マリアが全ての母みたいなこと言うけど聖なる母マリアに愛されたい、母に愛されたいって気持ちはきっとある程度深層心理か何かであるんじゃないかと思えるみたいな。

でもそれは時に呪いになるし、気付いてもそこから離れることにとてつもなく力が必要となるし、下手をすればそれは決別となる。「ママの幸せは、私の幸せじゃない」って台詞は執筆中のパソコンの前でも、演出席でも、舞台袖でも、ウワアアアってなったなあ。でも、この呪いからの救済は【決別】か【歩み寄り】しかないんだろうなって思ってたので、欲張りさんだから両方同時に板の上にドンッしました。

 

②よのなかの呪い

こちらは刑事バディ&衣通姫周り全員に込めた呪いです。

世間の目ってあるじゃないですか。お話についてのこれがいい、これが悪いなんて世間の流れが決めること。極端に言うと、昔はふっくら白粉まろ眉女性が流行ってたのに今はほっそりファンデ平行眉女性が流行り、評価される、みたいな。もちろん世間の目があるから、評価は大事だけれど、何が面白いかなんて個人が決めること。何がやりたい、何が面白い、何が好き、何が幸せ、それを周りに強要される必要はないはず。

それこそこちら衣通姫でのパターンですが(←以降は個人の感想です)

 

「これが君の才能だよ!」←ありがとうございます嬉しい!

「〇〇するともっとよくなるよ!」←ありがとうございます参考にする!

「〇〇しなきゃダメ(本人目線での理由なき否定、からの実力行使)」←ちょっと待ってくださいなんのためのFight a Libertyだ畜生

 

無論この〇〇が本人の納得出来るものであれば2段目のやり取り後修正すると思います。が、しなきゃダメとか、強制って、理由がないと割と不満を抱き/抱かれやすい。でもこれってよくあることな気がするのです。それが無知ゆえであれば自分の非力を嘆きます、でもそうでない場合は全力でぐぬぬぎりりと歯軋りをしながら呪いに昇華する。例えば、【自分ならこうする】とか【自分の常識】みたいなものだと特に。今回は特に後者を巡る争いですかね。地雷とか解釈違いって存在がしっくりくる気がする。

そしてこの【よのなかの呪い】の怖いところ。人の目。【おかあさんの呪い】はおかあさん単体でしたが、今回はひろーーい沢山の人の目。何が才能がある、面白い、常識、幸せ、不幸せ、それを見定めるよのなかの人の目が離してくれないのです。自分は自分だからなんて甘いこと言ってる暇あるなら俗世から離れる為のジェット機をGETしてくるくらいしなきゃって程度にはこびりつく。

その点めちゃくちゃわかりやすいのは久遠さんと小倉君。あの場の判断で久遠さんは幸せ、小倉君は不幸と【なりました】。逆に言えば、判断側次第ではこの判定は簡単にひっくり返るのです。序盤は逆でしたし、久遠さんの最後の姿を土佐警部に見られたらまた話は違ったでしょうし。よのなか用のチュールとか売り出さないかな。

(※あれ?じゃあアマテラスが最初に久遠さんを幸せと判定したのは何でだ?って話。アマテラスは「本人の意思」を汲み取るモノですから、久遠さんが心の底で自分を幸せと思うならばそれ即ち幸福と判断したのです)

 

つまり(?)!①と②の呪いを合わせた結論は!!No More 価値観の押しつけでした!!!解釈違いは良い文明!!!!人には人の乳酸菌!!!!!

ハイ解散ッ!!!!!!

 

最後に、次ってどうなるの?

やりたいことは!オリジナル大河と!箱庭ガールズと!御伽噺と!あとなんだ、あー、えー、たくさん!!!台本の構想だけは沢山あるから、自分でもがいたり、はたまたどこか誰かの演出家さんの手を借りたりしながら、板の上に上げていきたいなあと思っています。が、次というものがいつになるか、何をするかはわからないのです。なんてこった。

 

というのも!ご存知の方もいらっしゃると思いますが!荒井は!4月から!就職しますからね!!!!大学も無事卒業しましたので確定ですありがとうございます!!!!

止まる気は無いです。やりたいことはめっっっっっちゃあるし、少し先にはなるけどお話することもあるし。でも、次回公演の目処が、まだ、立っていない……!!!GWとかやれればいいんだけどなあ。早く有給取れるようになりたいなあ。

学生じゃなくなる分、ヱウレーカも荒井もスタイルを変えてかないとなーって思いつつ。まあまずは慣れてかないとなって思いつつ。次まで少し休憩しそうだけど、みんなに忘れられないように、忘れられてても思い出して貰えるようになろうって思いつつ。春を待ってます。お花見したいな。

 

 

長々と失礼致しました。また皆様とお会い出来ますようにと祈りながら、筆を置きたいと思います。

宜しくどうぞ、ご贔屓に。

 

またね。