そらの孔日記

荒井ミサがたまーに書く日記。

ヱウレーカ「幻壊パラダイム」 振り返り

終演しました

演劇企画ヱウレーカ旗揚げ公演「幻壊パラダイム」、9月30日をもって無事終演しました。御来場誠にありがとうございました。

 

で。ですよ。折角だもの、振り返ってみよう。補足してみよう。っていうブログです。

 

◎世界観設定とか◎

幻壊パラダイムの世界観、というより荒井作品の舞台となる世界「日ノ本」とはなんぞやという話。簡単に言うと、「第二次世界大戦が発生せずぬくぬくと育つも結局近代になり敗戦するディストピアパラレルワールドな日本」です。長くなった。

なんで普通の日本を舞台にしないんだって?

だって。

今の「日本」という国だって、人によって捉え方は違うし、社会の授業でどれだけ同じ内容を聞いても、全員の中で同じ「日本」という国は成立しないんだもの。言葉の意味ひとつですら、全員が等しいものを見いだせないのに、国規模でできるもんですか。

なら私の作った「日ノ本」へ皆様をご招待したい!!!!!!って訳でした。

今回はその中でも富裕層のお話ですね。貧困とか規制の話は置いといて。罪を犯すまでの物語ではなく、罪を犯したあとの物語。

だから、メインの高瀬・二宮・日佐谷田(稗田)・川嶋が全員殺人事件に(故意ではないとしても)加担していると理解した上で頭から振り返るとなんとも言えないよなあと。

見ないふりをして精一杯「自分の思う普通の人」として自他共に生活しようとする高瀬。納得しないで放っておくから表面上成立しても傷を癒せない二宮。全てを受けいれ進むため誰よりもある種冷酷に過去と向き合える代わりに受け入れないという行為への羨望と許せなさを抱える日佐谷田。何もわからず取り残される川嶋。

誰だって、自分以外は他人事で。悪いことは自分が悪いことにするか、誰かが悪いことにするか、自分と誰かが悪いことにするか、誰も悪くないことにするか、その判断を進んでしたがる人なんてほんのひと握りだと思うので。その判断をしたとして、判断内容を全員が全員100%理解して共有するなんてほぼ無理なので。

なんか、寂しいねえ。

 

 

◎夢野ウツツって誰◎

これ。

「夢野ウツツ役」の野崎涼子先輩もといのこさんとはお話したのですが。夢野ウツツ本人として登場しているシーンはほっっっっとんどありません。

では何として登場していたのあの人。答えは、誰かの中の記憶やイメージとしての夢野ウツツです。舞台上での夢野ウツツは、特に川嶋の頭の中の夢野ウツツであることが殆どでしたね。お墓参りの時には高瀬、二宮の頭の中の夢野ウツツも登場しましたが。本人として喋るセリフは両手で数え切れる程度だったはず。

いやイメージって。記憶って。ってお思いのそこのあなた。昔の先生ってこうだったよな、とか、こんなことあったな、ってだいたいは美化されてるんですよ。思い出補正ってやつですよ。友達と遊んだ思い出も、お母さんとの帰り道も、遠足も、初恋も、全部全部思い出補正かかりまくりですよ。多少なりともかかってますよ思い出補正。反対に嫌な思い出なんてめちゃくちゃ嫌になってたりする人いるらしいし。思い出として、記憶として、頭の中で夢見ていれば、真実を知らなければ、幸せなこともある。かもしれないので。はい。

 

 

◎川嶋とカインとアベルとセト◎

リトルグリーンメンとイルカのぬいぐるみとDQNですね。こんばんは。イルカはWind○wsの昔のバージョンであった「なにがわからないか聞いてね!」的なイルカをイメージしたが故のイルカでした。お前の消し方がわかんなかったよ。

さて、カインとアベルの構造とそこからくる自作自演は作中で説明した通りですが。それにより何が起こっていたかの補足をちょっとだけ。自作自演の人形劇により過去の高瀬二宮を模した幼稚園児型バーチャルリアリティモデルを動かす、川嶋。つまり、自分の嫌な記憶や嫌いな人をわざわざ掘り起こし、自分で彼らの言動を真似、その言葉で自分を甘やかし貶し乏しめ一喜一憂雨霰。完全なる自傷行為地獄でしたありがとうございます。

さて。

カインとアベルとセトについて。

この3人について、名前でピンとくる人は来ると思います。彼ら彼女らはアダムとイブの子どもたちであり、世界ではじめての人殺しです。深層心理として、川嶋鏡の中での憎悪の対象として一番矛先が向きやすい二宮をアベルに、アベルに殺される立場であるカインに高瀬、そしてそれらの代わりの立場のセトに己を置いた。カインはアベルに殺されますが、今回の場合アベルである二宮の心的混乱外傷ストレストラウマ等々を抑えるために嘘をつくことで「己を殺した」高瀬という構図が似合うなあー、と思いました。

今思うと、川嶋(ヤハウェ)とカインとアベル、そして代わりのセトという配置だったようにも見えてちょっと面白いです。私が。

 

 

◎ナニカ組ってなに◎

これは設定資料集に細かいことを書いたので、買った人のお楽しみ特権。……なのですが、ちょっとだけ。

コネコとコシジ、所謂開演前ハイパーキュートお出迎え組ですね。(※なお箱推しにつきキャスト・キャラクター全員が可愛いと主張させて頂きたいし詳細も述べたいのですが文字数の関係上長すぎてやばかったのでツイキャスに回します)

彼彼女は視聴者なのでした。テレビやメディアの映す内容を享受する立場にありながら口を出すことが可能な立場としての視聴者。ジャンプの後ろについてるハガキ然り、視聴者投稿然り、メディアは視聴者の皆様のご意見ご感想に基づいて創られるもの。私たち視聴者が面白いと言ったもの、つまらないと言ったものが、反映されるかされないかはもちろんメディア次第。しかしメディアがつまらないと言えどそれを享受する以外に視聴者に手立てはなく、あくまで受け身でしかいられない。唯一前のめりになれるのは、自分の興味関心知的好奇心を満たすため、知りたいという気持ちを満たすために己から画面に近付くこと。意見を言うこと。それだけ。

ちなみにエマちゃんはナニカ組と同じ目線にはいません。「僕は悪くない!」は単純な独り言です。コシジくんは同じ目線かと勘違いしかけたようですが、コネコちゃんが「疑う心が強いのよ。見えてはいない、見えちゃいないわ。見えそうなものを騙るだけ」と説明してます。

だけれどどっこい、メディア側だって言いたいことたくさんあるよ。案内人は語らないというか、素直に語れないというか、素直に語ってしまったら自分がメディアとして終わってしまうというか、終わりを認めないための足掻きというか。それでも要約して簡単に言うならば、

つまんないもの映してたくない!私の好きなもの映してたい!つくりものでも構わないから、つくられたしあわせを与えてあげたい!だってこれは!フィクションなんだから!フィクションの中でくらい私の好きにさせろ!踊らされていると知らぬまま踊って、しあわせになる様を見せてちょうだい!くちを!だすな!

みたいな。

でもそんなのメディアのエゴですからね。登場人物の皆々様には何も言えないし、どんな顔を向ければいいかわからないし、だから高瀬の「こんにちは」と共に幕が開く時彼女はとても怖がっていた。自分を知られてはならぬ。自分という枠を知られてはならぬ。そうすれば彼らの現実が幻へと壊れてしまうから。夢野ウツツとの対話も、彼女が現実でありながら「彼ら(登場人物)にとっての夢幻」であるから成り立っている代物なのでした。

夢野ウツツは、言うなれば幕の中のフィクションの中でさらに幻として存在し、逆にあの幕の中をドキュメンタリーと仮定したなら唯一その真実性を追求できる渦中の人間としても存在していた。視聴者を除けば、外枠に対して言葉を投げかけることが出来る唯一の存在であったと思います。

 

 

◎404シリーズ◎

何とは言わない。

でもまた会えるよ。

 

 

最後に

長々お付き合いいただきありがとうございました。

幻壊パラダイム、やってみるかと腰を上げたのは3月。半年間、いろんな人と一緒に走って走ってここまで来ました。たくさん教えてもらって、たくさん助けてもらって、感謝してもし足りないのです。

誰にって、役者さんに、スタッフさんに、手伝ってくれた人に、応援してくれた人に。演出しながら大暴走する私と、幕が閉じる最後まで、暴れてくれてありがとうございます。最高です。大好き。

 

これからもよろしくどうぞ、ご贔屓に。

また劇場でお会いしましょう。


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次回公演予告

ねえ知ってる?
帝都は賑わう天京の世で 囁かれている噂の話
噂の主はひとりの青年 なんでも不幸を盗むらしい
噂に引き寄せられたのは 不幸体質儚げ乙女

 

「さァ行こう華子君!」
「チョット待って先生!」

 

いつしかふたりは手に手を取って、帝都にその名を轟かす!
待っていてよね不幸なアナタ、幸せにしてあげるから!

 

「キミの不幸を頂く前に、一つ聞きたいのだけれど」
「不幸じゃない、ではソレ即ち幸せか?」

 

 

ヱウレーカ第2回本公演

「廻盗インフェリチタ」

お楽しみに