あの日の血液へ
目次
- はじめに
- 私の好きな物
- 自分だけの世界
- “卒業”という感覚
- おわりに
はじめに
これは、新世紀エヴァンゲリオンシリーズの完結を目撃した私の、備忘録です。ネタバレはしませんが、観終わった人間の言葉であり、終劇後の精神的感想を一部記載しています。ご注意ください。
私の好きな物
庵野秀明監督の作品が好きだ。初めて触れた作品(※1)であるエヴァンゲリオンは、兄の影響で知った。一切説明を加えぬ兄の横で、小学生の私は食い入るように画面を見た。兄のアニメ鑑賞(※2)にくっついて観ることが多かったのだが、エヴァが明らかに異質だということは早い段階で気づいていた。
良い意味でショッキング。登場人物より歳下という状況が多い中で、あまりにも生々しく、近いようで遠い場所の話であることを、幼いながらに感じていた。シンジくんがウザい、話を聞かなすぎ、等の意見もよく耳にしていたが、私はそんなに気にならなかった。何なら経験上の共感をしていた。“合っていた”のかもしれない。まだ理解できない考えや行動、そして言葉の数々をもってしても、目を離すことが出来なかったのだ。ここまで来ると、吸い寄せられたのか、呪われでもしたんじゃないかと思う。
高校生になり、スマホを手に入れ、情報に簡単にアクセスできるようになってからはもう泥沼だった。コンテンツに内包された、知らなかったこと、わからなかったこと、知りたいことを吸収していく。最高に楽しかった。
そして特にこの頃から、自分でも作品を創ることに興味を持つようになった。二次創作ではない、自分だけの作品を、世界を持ちたいと思った(※3)。
自分だけの世界
今思うと、ここが源流だったのかもしれない。私は今では自分だけの世界(物理/精神)を拠点にした作品を創るようになった。
高校の文芸部に入部した私は、俳句や小説、詩を書いた。はじめて完成させた小説は、夏休みに飛び降りようとする男の子を止める女の子の話だった。結局止められず、飛び降りてしまうのだけど。新米部員である私に、顧問の先生からキッチリ赤入れが入ったことをよく覚えている。初めて書く子は、偉人の言葉を引用したがるんだよねー、と言っていた。影響を受けた言葉や音楽は、少なからず、いや確実に、作品を形作る血液の一部になる。それは私に限らず、多くの創作活動家に当てはまるだろうと思う。作品への評価や“○○っぽい” “○○のような”といった何かを紐づける行為、そして創作には、必ず頭の中の引き出しが関わってくるものだからだ。
私にとってのエヴァは、その中でも大きな引き出しで、他の作品に手を伸ばすキッカケや考え方など、多くの部分へ影響を及ぼしていた。のだと思う。創作はもちろん自我にも大きな影響を与えていた。言わば、バイブルなのかもしれない。
バイブルの頼り方は人それぞれだと思う。私はというと、劇作をするようになって、行き詰まった時にはすぐにエヴァを頼った。そんな時は、旧劇場版と新劇場版Qを浴びるほど観た。作業用BGMといっても差し支えない。バイブルという言葉では済まないほど、色々な意味でお世話になっている。(シン・ゴジラははじめて映画でリピートした)
“卒業”という感覚
そんなエヴァが完結した。
近場の映画館へ向かう際、正装に近しい服装でゆかねばと全身黒にワインレッドのジャケットを羽織った。(なんなら産まれる前に放送は開始していたが)出会ってから、私の半生と共にあった作品が終わる。卒業式に同席するような気分だった。
とは言うものの、実は昔から“卒業”というものに疎かった。何かが終わる感覚が薄かった。コンテンツの終わり(≒卒業)も、あまり強く意識したことがなかったのだ。だから、こんな格好では行くものの、私は終わりを受け取れるのかと不安でいた。
ただ、エヴァは違ったのだと、終劇後にわかった。呆然として、席から立てなかった。血が流れるのではない、突然胸に穴が空いたような感覚だった。しかも恐ろしいことに、時間が経てば経つほど、その穴は広がっていく。終わった、ではなく、終わってしまった、と感じていた。この節目に立ち会えたことへの喜びと、ジワジワと襲う寂しさ。これが“卒業” なのかはわからないが、私はそうだと思いたい。
※ふせったーでのネタバレ感想はこちら
おわりに
脚本演出として初めて舞台を創った(※5)時、現場で呼ばれた「畝傍(※6)の庵野」という言葉が、恥ずかしいけど嬉しかった。はじめて上演用に書ききったお話で、私はあの脚本を原点にして頂点だと思っている。なんならその頃の私が庵野秀明監督の過去話と重なる行動をとっていた事も分かり、先日友人と大笑いした。大好きな作品を創った方の名で例えられることで、あの日の私は、あの日の血液は、最高で最強になれた気がした。
けれど今、庵野秀明監督の作品の血と、私の作品の血は違うことを、決して忘れてはいけないのだと思っている。あの日の血液も、今日この時の血液も、決して誰のものでもない、私だけの血液だ。
あの日の血液へ。
いつか、私たちだけの、最高の“卒業”をしよう。
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※以降、注釈
1:厳密には、セーラームーンの変身バンクなど、監督していなくとも関与した作品に触れたのはもっと昔、保育園児の頃だったような。
2:他にも涼宮ハルヒの憂鬱、らき☆すた、CLANNADといった京都アニメーション作品や、スーパーロボット大戦などのゲーム作品。はたまた漫画やニコニコ動画との邂逅に至るまで、ほぼ兄のおかげである。
3:これは歴史沼にハマりきる前の話なので、まだ日ノ本の構想があった訳ではない。
4:あの頃の作品を数年ぶりに読み返してみたけれど、荒削りながら確実に今の自分の源流と言えるような思想を書きなぐっていて驚いた。
5:劇団畝傍座鳳祭公演『ミネルヴァの梟』(2016年11月)。
6:専修大学演劇研究会である、劇団畝傍座の略称。