まとまらなかった、、、
稽古始まりました
先日の話ですが、演劇企画ヱウレーカ第2回公演『廻盗インフェリチタ』の稽古が始まりました。やっべ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
毎回頭をぐるぐる回すのでへとへとになります。そして眠ります。稽古中語彙がないとお思いの役者さんにはごめんなさい、ぐるぐるした結果錬成された言葉がそれなんだ、精進する。
で、前に「普通」ってタイトルのブログでも触れた気がするのですが、自分の普通と他人の普通って違うから、感覚を、共感までしてもらえなくとも知ってもらいたいなと思い。おしゃべりするんですよ、稽古場で。そしたらアレッ?てなったことがあったので、その話をしますね。
吾輩は嫌いである
なんか、私が思ってるより「嫌い」って感情は持続しないらしいです。
エッまじか。
嫌いになったらずーーーーーっと100%嫌いとは言わない。が。嫌いだ。この時は大丈夫みたいなものがあろうと、結果として、嫌いだ。そうそう嫌いにもならないんだけど。
その代わりにといっては何なのだけども、無関心にあまりならない。というかなれない。なんか気になるもん。嫌いなものほど気になるし切り捨てられない。なんなら好きなものを嫌いになって、その原因が好きなものが大好きで楽しそうにしている姿なんて見ようものなら地獄の釜に放り投げてやりたくなる。
例えば立派なおうちがあったとして。自分の好きなそのおうちを楽しそうに、土足で踏み荒らして落書きしてぐちゃぐちゃにする輩に出くわしたとして。それを見て自分もぐちゃぐちゃになり、もうそのおうちすら嫌いになったとして。その輩が別の場所で依然楽しそうにぐちゃぐちゃにしてるの見て、何故に私が嫌いになってるんだよと思ってしまう。違うじゃん?私は別に嫌う必要ないじゃん。好きで居続ければいいじゃん。好きでいればよかったのに嫌いになっただけじゃん?
って思ってたらわかったけど、多分障害を超えてまで好きで居続けることができなくなったから、その障害に対して怒りをぶつけてしまうのかなとか。
嫌いになりたくて嫌いになるなんてことはない。嫌いになりたくないのに嫌いになるから許せないしイヤなんだろうな。
そうして結局切り捨てられない、全部捨てたくないキッズだと思うと、はよ大人になれとも思うのです。そろそろ22歳だぞ。巻いて巻いて〜〜〜!
あれ???だからなんで私は嫌いという感情を持続させているんだ?????答えになってなくない?おかしいな……でもまとめるの無理そうだからここらへんで切りますです。
おやすみなさい。